極楽も修行の場である

極楽も修行の場である

さて、「往生」の意味を説明したついでに、わたしはここで、阿弥陀仏について語ろうと思う。

阿弥陀仏とはどんな仏さまか、わたしたちが死んでからそこへ往くにはどうすればよいのかについて述べて承よう。

阿弥陀仏は、まだ仏になられる前(法蔵菩薩であったとき。

菩薩とは仏になるための修行をしている段階)に、ある「願」を立てておられた。

その願が成就しなければ、自分は仏にならないlそう誓って修行をされたわけである。

その願と峰「阿弥陀仏に帰依する者は、誰でも、無差別、平等に救いとられ、その仏国士Ⅱ極楽浄土に生まれ変わることができる」という蝿のであった。

その修行ののち嘱法蔵菩薩憾阿弥陀仏になられたlだから、逆にいえば、願は成就され、阿弥陀仏に帰依する者は、極楽浄土に生まれることができるはずである。

この阿弥陀仏への帰依の表明が、一南無阿弥陀仏」である。

お年寄りが手を合わせて唱えるあの「ナンマソダプ」である。

だから、「南無阿弥陀仏」と唱える者は、すべて極楽浄土に性ほうれんしようにん、き生まれることができるlと、そのように言われたのが、あの浄土宗の陥祖の法然上人二一三三’二二二)であった。

「南無阿弥陀仏」は、つまり「ヘルプ・ミー(わたしを助けて)」の信号である。

この信号を送りさえすれば、それを阿弥陀仏がキャッチして、救済の手を差しのべてくださるのだ。

信号を送った者は、死後、極楽浄土にトラソスポート(転送)される。

 

では、それからどうなるのか?極楽浄土に往生したあと、わたしたちはどうなるのだろうか……?どうなる……なんて考えてはいけない。

阿弥陀仏の極楽浄土に生まれさせていただいたのだから、それでよいではありませんか?それ以上、何をのぞむ必要があるのか?何の文句があるのか……。

そう言われた人もいるl・じつは、法然上人の弟子の親癖聖人(二七三’一二六三は、そう言っておられる。

たしかに、そのような考え方も成り立つ。

しかし、ごくふつうの解釈では、仏教の最終目標は仏になることである。

あくまで「仏になるための教え」が仏教なのだ。

だから、極楽浄土に往生してから、わたしたちは修行をつづけて仏になることを目ざすのである。

その考え方のほうが、仏教では正統的である。

極楽浄土は仏国土である。

「仏さまの国」である。

そこには一年中花が咲き乱れ、暑さもなければ寒さもない。

家の心配も食べる心配もないのだ。

また、男、女の区別もなく、結婚の必要もなく、それゆえ子どもだっていない。

わざわざ出家しなくても、全員が出家者だから煩悩もないのだ。

だから、わたしたちは極楽浄土では何ものにもこころを煩わされることなく安心して修行をつづけることができる.そして.間違いなく、全員が仏になれる.lそのように教えられたのが、法然上人であった。

法然上人の考え方のほうが、親輔聖人より教義に則っていたわけだ。

しかしI。

と、わたしば最後に断わっておか”ばなら腫い。

極楽浄土ば阿弥陀仏を信じる者に開かれているのだ。

「人間は死ねばおしまい」と、うそぶくような不信心者は、死んでも「往生」はかなわないのである。

東京臨海斎場 葬儀予約 手続き窓口時は臨海斎場 葬儀予約 手続き窓口で葬儀社見積もりを14社以上検討してください。臨海斎場で葬儀を行えば葬儀式場費用を抑えた家族葬が可能です。火葬場とも併設しているので移動費用も削減できます。臨海斎場は公営斎場で有名なので弔問いただく方も分かりやすいと評判です。先ずは病院からご遺体を搬送する事が第一です。ご遺体を一旦ご自宅か安置施設に搬送すれば、少し落ち着いて葬儀について考える事が出来ます。当サイトで紹介する葬儀社は、その時点で納得いかなければ断れる葬儀社です。